MBA流ロジカル写真術 論理的思考でセンスの良い写真を撮る方法

センス(感性)をロジック(論理性)で乗り越えられるかを挑戦していきます

ロジック(論理性)でセンス(感性)を超えられるかに挑戦します

画像生成AIの時代に人が撮る写真はどうあるべきか~AIへの挑戦

最近、Chat GPTなどの生成AIが注目されています。今まではGoogleなどを代表とする「検索」が中心でしたが、今後はAIが何かを「生成」するという新しいフェーズに来ました。生成AIは文字情報だけではなく画像生成での活用もされており、アーティストなどのクリエイティブな分野でも大きなインパクトを与えると言われています。

映える写真をAIで簡単に創れる時代が来る

映える写真を撮ろうと思うとそれなりに手間がかかります。写真には現実に無いものは写りませんので、まずは目的の場所に行かねばなりません。季節や時間も重要な要素であり、その時でなければ撮れない写真もあります。人物を入れたければモデルとなる人もいるかもしれません。しかし、生成AIであればそれらの手間は全く必要ありません。自分なりのイメージをプロンプトで命令するとある程度のクオリティの写真が一瞬で出来上がります。美男美女から架空の場所、空想の生き物まで自由自在。もし、仮にその写真が気に入らなくても、何度でも作り直すことが可能です。凄い時代だと思います。

映え写真における人と生成AIの違い

現在、Instagramでは映える写真が全盛です。過度な加工が施されている場合などは、実際に行くと全く違う印象の時もあります。人物では目を大きくしたり、美肌加工や体型補正をしている人もいます。自己表現の一つという点では、個人の自由なので特に問題はないと思います。但し、現実とは大きく異なるという点ではそれはアートに近いものです。そして、それが現実では無いのであれば、写真をベースに加工をしても、生成AIが創造をしても、意味的にはあまり違わないはずです。そして、映える写真はそれなりに撮るのが難しく希少であるから目を引くのです。今後、生成AIが映える写真を量産するようになったら、人が苦労をして撮った映える写真はその中に埋もれてしまうのではないでしょうか。

人間にあってAIに無いものは何か

人間にはあって生成AIに無いものとは何でしょうか。それは「感情」です。今後、AIに勝てるとしたらそこしかありません。「人」が写真を撮る時、シャッターを切るという行為をした以上、必ず何か理由があるはずです。その写真は、誰が、何故、どのような思いで撮ったのか。人の感情が動くのは、その時にその人が感じた喜怒哀楽などの感情に共感をするからです。であるならば、写真の裏側にあるストーリーこそが今後は重要になってくるのではないでしょうか。

何でもない写真が特別なものに見える魔法

写真だけでそのストーリーが伝わることが一番ですが、なかなか難しいものがあります。だからこそ、タイトルやキャプションなとの文章を上手く活用して、その写真の背景にある物語を伝えていく必要があります。その点で以下の本はとても興味深いです。

◇「ダカフェ日記」 森友治
ダカフェ日記は大人気ブログを書籍化したもので、Everyday Momentsを撮影テーマとする私にとって、森さんは大好きな写真家の一人です。普通の家族の日常の瞬間を短い文章と共に記録していますが、写真に添えられた短い文が絶妙で、読むと思わず気持ちがホンワカしてきます。

◇「旅の窓」沢木耕太郎
沢木耕太郎は「深夜特急」の著者で、旅人の憧れの人です。私も旅が好きなので影響を受けました。「旅の窓」は一枚の写真とそれにまつわる短いエピソードで構成されています。素朴な写真ばかりですが、写真を撮った理由やその時の気持ちなどが書かれており、同時に読むと不思議と味わい深い写真に見えてきます。

人を感動させるのは人の想いである

今後、広告などの商業的なものにはAI画像が増えていくと思います。但し、それが虚像である限りスゴイ、美しいと感じさせることは出来ても、そこに物語や想いがなければ本当の意味で人の心を動かすことはできません。その意味でも自身の撮影テーマへのこだわりや愛がより一層重要になる時代が来るのではないでしょうか。

私の撮影テーマ「Journey」への挑戦

私の撮影テーマはEveryday momentsとJourneyです。AI写真や映え写真へのアンチテーゼとして、下記のブログを始めることにしました。一枚の写真とそれにまつわるエピソードを綴っています。目標は毎週更新、1分間で読める気軽な旅ブログです。私なりの方法で人に影響を与える写真を残せたらと思います。お時間ある時にでも読んで頂けると幸いです。

 rayworld.hatenadiary.com

 


それではこの辺で。

 

 

あなたは何故写真を撮るのか

今はスマートフォンがあるので、いつでも、誰でも、気軽に写真が撮れる時代になりました。ピントも露出も全てカメラ任せで、簡単に綺麗な写真が撮れます。とても素晴らしいと思います。

しかし、写真は自動では撮れません。写真が撮れた時には、必ず、撮影者がシャッターを切る、という行為をしています。要は、撮影者が写真を撮りたい、と思わなければ、写真が世に生まれることはないのです。

では、あなたは何故写真を撮ったのでしょうか。

写真を撮る理由

私は、物事を考えるときには、まずは世の中を見まわして参考になる事例を探し、その上で学術的、体系的に考えながら、頭の中に地図を描いていくことにしてます。インターネットも良いですが、クオリティを考えると書籍は最適です。

カメラホリックという雑誌があります。vol8号では「写真を撮る理由」と題して、7人の写真家に「何故、あなたは写真を撮るのか」と尋ねた特集が掲載されていました。

私は、特集されている中の一人であるハービー山口さんという写真家が好きです。ハービー山口さんは人々のポートレートを中心に、とても温かみのある写真を撮影されています。ロンドンにも長くいたそうで、私もイギリスに留学していたので、ハービー山口さんのロンドンの写真集はお気に入りの一冊です。

 

ハービー山口さんは「その人の明日の幸せを祈ってシャッターを切る」そうです。ポートレートには、撮影者と被写体の関係性が映し出されますので、そのような気持ちで撮影しているからこそ心の温まる写真が撮れるのかもしれません。

写真を目的で分類分けして考える

次は学術的、体系的に考えてみます。ロジカルシンキングの基本は思考の分解、分類分けですので、写真も撮る目的で整理をしてみます。仕事でもそうだと思いますが、そもそもの目的や前提を共有できていないと話が嚙み合わないことが良くあると思います。

上記の書籍によると、写真を撮る目的は以下に分けられるそうです。

・記録のための写真 (何を食べたか、どこに行ったかなど)

・記念のための写真 (イベントや記念日に家族や友人などと一緒に)

・観察のための写真 (マクロ撮影や高速シャッターなど肉眼では観察できない現象の撮影)

・造形のための写真 (光と影や形、色彩など造形性の美しさを表現する)

・想像のための写真 (生き物に見える岩や雲など、想像から表現されるイメージを再現する)

・意思のための写真 (人、場所、時代、社会が持つ意思やメッセージを象徴的に表そうとする写真)

・物語としての写真 (前後の瞬間や撮影対象から展開されるストーリーを描き伝える写真)

・象徴としての写真 (気配や雰囲気、感覚、感情など、実際には写らないものごとを表現する写真)

 

これらの分類分けを使うと自身の写真の特徴や立ち位置を客観的に捉えることができるのではないでしょうか。

何を、何故、撮るのか?

何故、写真を撮るのか?という問いには、実は「何を撮るのか(テーマ)」と「何故撮るのか(動機)」という問いが混在しています。それがはっきりすると、それらを表現する/伝えるには「どのように撮る(意図)」のが相応しいかが見えてきてます。構図や撮影技術などを考えるにしても、その良し悪しを判断する基準や自らの意思をもってそれを選択することができるようになるのではないでしょうか。

写真は心のアルバム

私の撮影のテーマは「Everyday Moments」と「Journey」です。

reienom.wixsite.com

私の写真の目的は、上述の分類だと「記録のための写真」「記念のための写真」にあたると思います。

そして、私がシャッターを切る理由はとてもシンプルで

・旅をしているとき「その景色を美しいと思ったから」
・家族と過ごす日常で「その瞬間を愛おしいと思ったから」
・そして、何よりも「それを忘れたくないと思ったから」です。

写真は光景を記録していますが、そこに写っているのは私の「心」や「感情」であり、心のアルバムを写真という形で残しているのだと思います。

最近はInstagramなどでは映え加工がされているものが多くありますが、実際とは異なることも多く、見た時には驚きを感じますが、そこには撮影者がその時に感じた感動は写っていません。写真の目的としては造形や想像など芸術に近いもので、自分の好みや志向とは大きく異なりますが、そもそも目的が違うのであればその表現もありなのかなと思います。

ただ、私が写真を撮る理由は、これからも人生の中で出会った感動を自分自身が忘れないように記録し続けることであり、私の写真を見た方がその感情に共感をしてもらえると嬉しいなと感じます。

今日はこのあたりで。

良い写真とは希少性の高い写真である

良い写真とはどんな写真なのでしょうか?美しい写真?感動する写真?売れる写真?「良い」と言ってもその定義は人それぞれです。
今回は良い写真の定義を、社会から求められる写真や人々から注目される写真など「市場価値の高い写真」として捉え、経済学的な視点から考えてみたいと思います。
(但し、市場価値の高い写真だけを良い写真と言いたいわけではありません。あくまで思索の一環としてそのように定義してみたという意味です)

市場価値はどのように決まるのか

市場価値とは、社会からどのくらい必要とされているかを表すものです。そして、市場価値価値は「需要」と「供給」のバランスによって決まります。
例えば、多くの人が求めているモノにも関わらずその数が少ない場合(=需要が高いが供給が少ない)、そのモノの市場価値は高くなります。
一方、多くの人が求めていても世の中に溢れていたり(=需要が高いが供給も多い)、数が少なくても世の中から求められていない場合(供給は少ないが需要も低い)は、市場価値は高くなりません。
コレクターアイテムなどはレアであるほど価格が高騰しますし、就職活動なら自身の希少性を如何に高められるかが年収アップに関係します。
そして、写真の場合もこの関係性は成り立つと思います。

希少性をどこに求めるのか

では、写真の希少性を高めるには、どのような方法があるのでしょうか。ここでは次の3つの視点で考察してみます。
・時間、場所、被写体
・非現実性
・技術、独自性

写真は、その時、その場所にいないと撮ることができない

当たり前ですが、写真はその時、その場所にいないと撮影することができません。ということは、その時、その場所にいることの難易度が高い被写体ほど希少性は高くなり、相対的に技術的な要素の必要性は低くなります。極論としては、スクープ写真などでは写真の美しさなどは二の次だと思います。

私のストックフォトフォトが意外と売れた理由とは?

本屋に行くと世界遺産や絶景写真の本が溢れています。旅行写真は非常に需要が高い一方、海外の世界遺産は中々行くことができないので、撮影地が珍しいければ珍しいほど市場価値は高くなります。
例えば、私は今までに留学やバックパッカー、ビジネス出張などで、世界30カ国、130都市以上を旅しました。エジプトにも行ったことがあり、その時に撮ったツタンカーメンの黄金のマスクの写真をストックフォトで販売しているのですが、これが意外と売れました。
www.photolibrary.jp

不思議だったので調べてみると、私がエジプトに旅行したのは2003年なのですが、その時は無料で自由に写真を撮ることができました。ところが現在では博物館での写真撮影は有料、そして黄金のマスクは写真撮影が禁止になってしまっているようです。エジプトは人気の観光地で、特にツタンカーメンの黄金のマスクは目玉の一つなので、旅行関係の本やパンフレットなどの素材としてニーズは高いはずです。特別に上手な写真とは思いませんが、需要が高くて供給か少ないために市場価値が高くなる、という一例ではないかと思います。

Instagramで映える加工写真が増える理由

InstagramなどのSNSにも美しい写真が溢れています。ただ、最近は風景写真などは過度な加工がなされ、現実とはかけ離れた写真も多く見られます。
市場価値という視点で考えた場合、現実と変わらない風景写真ですと世の中に溢れていますし、見慣れているのであまり注目をされません。一方で目を引くのは、初めて見るような見たことも無い風景ですが、それを日常の中に求めようとすると、どうしても過度な加工を加えたくなります。非現実的であるほど希少性は高まり、注目は集めるかもしれませんが、実際に訪れると現実と違い過ぎてガッカリしたことも多いのではないでしょうか。
映える写真は市場価値が高いかもしれませんが、写真はその名の通り「真実を写す」ものであって欲しいと思いますので、私の目指す方向性とは少し異なっていると考えています。

美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけよ

私はゴッホの名言で好きな言葉があります。

Don’t seek for the beautiful scenery; find beauty in the scenery.
(美しい景色を探すな。景色の中に美しいものを見つけよ)
ja.m.wikipedia.org

日常風景の写真の中で希少性を高めるには、やはり撮影技術やユニークな視点が必要になります。
個人的にはNational Geographicのように、加工に頼るのではなく撮影技術や独自の視点を磨き上げ、その場の空気感や想いまで写し出すような写真が撮れるように成長していきたいと思います。
www.nationalgeographic.com

今日はこの辺りで

写真とは写真家の眼差しである

写真を真剣に撮り始めると、少し哲学的ですが写真とは一体何なのかと考える時があるのではないでしょうか。今回はそれについて少し考察をしてみようと思います。

真実を写すのが「写真」

写真とは何かを考える時、カメラの進化を科学的、歴史的に考察するものもありますが、今回は写真を撮るという行為を掘り下げてみたいと思います。

例えば写真を撮るという行為を要素分解してみると、物語の主人公である被写体と撮影者、舞台である場所と時間、そしてそれを写す機器としてのカメラに分解できます。そして、それらの全てを一瞬で記録するのが写真です。

写真が発明される以前は絵画が同じような役割を果たしていましたが、写真と絵画の違いとして、写真は空想やその場にないものは写せないということです。最近はインスタ映えなど加工してあるものも多いですが、基本的にはその時、その場所にある「真実を写す」ものが写真です。

写真の主体は誰か

写真というアウトブットの主役はそこに写る被写体であり、どうしてもそちらが注目をされます。しかし、写真を撮るという行為の主体は撮影者です。ビジネスの5W1Hのように、いつ、どこで、何を、どのように撮るか、それは主体である撮影者が決めることができます。その視点に立った時、以下にあげる写真集はとても興味深いものでした。

写真家 白洲次郎の眼~愛機ライカで切り取った1930年代

白洲次郎は連合国軍占領下の日本で吉田茂の側近として活躍した人物で、当時としては珍しくケンブリッジ大学にも進学しており、容姿も長身でダンディな紳士として色々な所で紹介されています。私も大好きな人物です。

この写真集は題名にもある通り、白洲次郎の「眼」がテーマです。1930年代、彼が愛機ライカで自らピントを合わせ、シャッターを切った風景や人物が掲載されています。私達はそこに写る被写体ではなく、あの白洲次郎が何をどんな思いで見ていたかに強い興味を抱き、心を惹かれるのだと思います。正に被写体ではなく、写真家の眼が主役の写真集です。

写真は撮影者の写し鏡である

写真には被写体が写っていますが、人物の場合は被写体と撮影者の関係性も写ると思います。被写体が自分に向ける表情は、相手に対する自分の行動の写し鏡です。撮影者が不機嫌な顔では、相手も笑顔を向けてくれません。当たり前ですが、写真は被写体と撮影者、両者がいて初めて成り立つのです。

浅田家~亡くなった家族との記念写真を撮る

浅田家という映画があります。ラストの方で、父親が亡くなった家族の記念写真を撮るシーンがありました。写真には父親は写っていなくても、記念写真の向こう側にはいつも父親が撮影者として存在している。このシーンには、私も同じ父親として非常に共感をしました、

私は自分の家族の写真を多く撮りますが、子供達が大きくなった時、または将来自分がいなくなった時、私がどれ程家族を愛し、暖かく見守っていたか、写真から私の思いや眼差しを感じて欲しい、と同じような思いで撮影をしていました。

写真とは、被写体を記録するだけではなく、撮影者が世界をどう見ていたか、その眼差しを記録するものでもあると私は思います。

自分の眼差しを次の時代に残したい

自分が撮った写真は将来どうなるのでしょうか。個人で保管する写真やデータは、自分がいなくなれば処分されていくでしょう。最近はウェブやデジタル全盛ですが、データはもっと簡単に操作ひとつで跡形もなく消え去ります。

ただ、人間は歳をとってくると自分が生きた証を残したい、と思うようになるものです。写真を公に公開して残すということでブログなどもあるかもしれませんが、長い年月を考えると本として残す方が電子よりも長く残るかもしれません。

私は「377975km2」という写真集に自分の写真が掲載されたことがあります。この本は、コロナ禍の1年間、色々あった日本(国土面積377975km2)で起きたこと(作品)を記録するというコンセプトの下、Japan Photo Award + Intuition labelが選考した写真家で構成する作品集です。そして、この写真集は国立国会図書館※に保存され、半永久的に残されます。
※日本は国立国会図書館法により、国内で発行されたすべての出版物を、国立国会図書館に納入することが義務づけられています。納本された出版物は、現在と未来の読者のために、国民共有の文化的資産として永く保存され、日本国民の知的活動の記録として後世に継承されます。

私が掲載されたのは、桜の木の下で子供達か笑顔で笑っている写真でした。遠い未来で誰かがこの本を見て、私の思いや眼差しを感じてくれたとしたら・・・。たった一枚ですが、私の想いや愛したもの、そして写真家として私の生きた証を次の時代に残せたのではないかと思います。

今日はこの辺りで。

何のために写真を撮るのか ~「自分の為の写真」と「他人の為の写真」の違いとは?

あなたは何のために写真を撮っていますか?

子供の成長や旅の思い出を記録するためですか?それとも面白いことをSNSで誰かに伝えるためですか?もしくは仕事や副業としての写真撮影かもしれませんし、自己表現としてのアート写真を撮影する方もいるでしょう。

もちろん、単に撮りたいから撮る、でも良いと思いますし、そもそも写真を撮る時にそんな難しいことを考える必要もないと思います。

でも、今回はそれを論理的思考で整理して、それにより何が違うかを考えてみたいと思います。

撮影する理由を整理・分類してみる

イデアを整理する方法の一つにKJ法というものがあります。

KJ法とは、情報を付箋などに書き、同じ系統の情報をグループ化して、系統ごとに分類された情報を整理、分析していく方法です。グルーピングの仕方に正解はありませんが、その作業を通じて自分の思考の整理や事象の抽象化をするのに役立ちます。

例えば、上述の撮影する目的を私なりに整理してみると、大きくは「自分のために撮る写真」と「他人のために撮る写真」に分けられると感じました。

「自分のために撮影する写真」とは?

「自分のために撮影する写真」とは旅行や家族の記録写真、趣味でSNSにアップする写真やアート写真などがそれに分類分けされます。そこには特に制約はなく、自分の撮りたいものを、自由に撮影すれば良いはずです。だからこそ、写真家としての自身のテーマなどが関係してくるのですが、この辺りはまた別の機会に考えてみたいと思います。

「他人のために撮影する写真」とは?

一方で「他人のために撮影する写真」とは、主に仕事として撮影する写真です。プロカメラマンが撮影するポートレート写真や結婚式の写真、企業広告に使う写真やビジネス目的でSNSにアップする写真などが該当すると思います。

これらの写真は、自分が撮りたいように撮れるわけではなく、目的や撮影する対象などのお題があるという点か大きく異なります。

ビジネスパーソンだからころ気づく「他人のために撮影する写真」に必要なもの

私はプロのカメラマンではありませんが、ビジネスパーソンだからこそ気づく視点があると思っています。

私は「写真」も仕事での「プレゼン資料」も同じだと思います。例えば、良い「プレゼン資料」には明確な意志とその根拠があります。

・それは何を目的としているのか
・想定するターゲットは誰か
・何を伝えたいのか
・相手にどのように感じて欲しいのか

自分が作成した「プレゼン資料」の内容や表現についてこれらの問いに答えられれば、それは良い資料だと思います。そして、それは「資料」も「写真」も同じはずです。

Newsweek(国際版)へのビジネスポートレートの掲載

Newsweekは世界59カ国、4600万人が購読する米国のビジネス誌であり、私は自分の撮影したビジネスポートレートNewsweek(国際版)に掲載されたことがあります。この時に強く感じたことがありましたので、それを書いてみたいと思います。
www.newsweek.com

私が何故Newsweek(国際版)に写真を掲載出来たのか?

私の写真がNewsweek(国際版)に掲載されたのは、私がカメラマンとして認められたからではありません。たまたま勤務先企業が取材を受けることになり、私がその取材対応の統括をしていたことから、その過程で私が自社の代表者のビジネスポートレートを撮影しました。

最初、私は自社が製造業であることから、代表者にシャツ、ネクタイの上に作業服を着てもらい、工場の製造現場を背景にボカシた感じで撮影しました。プロジェクトX風で中々良い雰囲気に撮れたと自分では感じていました。

ところが社内で議論をする中で、海外営業担当の社員か発した言葉に、私は目から鱗の経験をしました。

その写真は「誰のため」の写真なのか?

その社員は途中からPJに参加をしたので、まだ私の写真を見る前でしたが、こんなことを言いました。

「日本企業では上半身作業服で工場を背景に撮影した写真をよく見かけるが、正直あれは有り得ない」「日本人向けには親しみ深い印象を与えるかもしれない。しかし、良くも悪くも欧米はエリートと労働者階級が分かれている。そしてNewsweekは欧米のビジネスエリートが読む雑誌だ」「だから、ビシッとしたスーツを来て、どうだ、俺たちは凄いだろう!というような自信溢れるポーズの写真でなくてはならない」

非常に論理的で的を射た発言でした。私もイギリス留学を経験していますが、実際にその通りだと感じていましたので、改めてターゲットを意識することの重要性を再認識させられました。
その後はその社員とイメージの擦り合わせを行い、ポージングや背景等にもこだわって渾身の一枚を撮影しました。

「上手な写真」=「良い写真」とは限らない

出版された雑誌を見てみると、他にも幾つかの日本企業の記事が掲載されていましたが、多くの写真は真四角の写真枠に上半身姿の証明写真ようで、中には作業服を羽織っているポートレートもありました。このスタイルの写真は企業ホームページではよく見かけますし、技術的にもプロが撮った写真と思われる上手い写真ばかりでした。
しかし、前述した視点で見ると違和感のある写真ばかりで、記事の内容を読む以前の問題として、欧米のエリートがその写真をみて「凄そうな会社だ」「この社長は優秀そうだ」と感じるかというと疑問を感じざるを得ませんでした。このことから、目的やターゲットを意識することが如何に重要かを改めて理解しました。

他人のため=ビジネスである以上、写真も仕事も重要なことは一緒ではないでしょうか。
少し長くなりましたが、今日はこの辺りで。

センスの良い写真を撮影するには何が必要か?

センスの良い写真を撮影するには何が必要なのでしょうか?写真関連では様々な書籍が出版されており、情報が溢れています。私は頭の中を整理して学んでいきたいタイプですので、写真撮影スキルの習得でもそれを試みてみようと思います。

概念化というビジネススキル

ビジネスの問題解決スキルで概念化というものがあります。これは物事を抽象化し、体系的に整理、分類することで、物事の本質を掴むというものです。

ハーバード大学教授のロバート・カッツはカッツ理論を提唱し、能力をテクニカルスキル、ヒューマンスキル、コンセプチュアルスキルの3つに分類し、マネジメントにおけるコンセプチュアルスキル(概念化能力)の重要性を述べています。

概念化は何故重要なのか

仕事上、概念化が出来ている人と出来ていない人で議論をすると話が噛み合わないことがあります。例えば、あなたが人事マネージャで新卒採用に携わるとします。部下から①ナビサイトのトップ写真をプロのカメラマンに依頼する、②採用プロモーション用の動画を作成する、という2つのアイデアを提案された時、自信を持ってジャッジができるかどうか。それは採用プロセスを概念化して捉えることができているか否かが重要です。

採用プロセスのフレームワーク

採用活動とは一種のマーケティング活動です。私はその中でもAIDMAの法則というフレームワークを良く使います。要約すると、消費者が購入に至るまでにAttention(注意)→Interest(関心)→Desire(欲求)→Memory(記憶)→Action(行動)のステップを辿るという理論で、採用活動もそれに当てはめて考えます。
ja.m.wikipedia.org

上述の2案の場合、どちらが良いかは置かれている状況により違ってきます。①トップ写真の改善はAttention(注意)→Interest(関心)を強化する施策で、それによりナビサイト等で検索、表示された時に初見の学生の目に目に止まりやすくなるでしょう。一方、②プロモ動画の作成はDesire(欲求)を強化する施策であり、発見された後に動画を視聴することで、この会社に入りたいという欲求を高めるのが狙いです。
頭の中でこのように要素分解が出来ていれば、サイト分析等で状況を分析し、それに応じて適切な判断が出来るでしょう。しかし、このフレームワークを思い描くことが出来ていないと、何故そちらが効果的なのか論理的に議論ができず、好みや印象で判断することになってしまいます。

センスの良い写真を撮るために必要なことを概念化してみる

同じように、写真関連の本に書かれている内容を私なりの考え方で整理、分類してみようと思います。私は若い時、10年程空手をしていて、その中で「心・技・体」ということの重要性を学びました。ですので、写真に関することも心技体で分類してみようと思います。

思いつくままに分類分けして列記してみると
■写真撮影の心
・・・そもそも写真とは?何のために撮影をするのか?撮影テーマとは?
■写真撮影の技
・・・構図、露出、シャッター速度、色彩、光、など
■写真撮影の体
・・・カメラ、レンズ、三脚、バッグ、など
という感じでしょうか。

この内容をサポートする知識をバランス良く収集することで、論理的にセンスの良い写真が撮影できる能力を一歩ずつ積み上げていきたいと思います。少し長くなりましたが、今回はこの辺りで。

ブログのタイトルを変更しました

プログタイトルであったNational GeographicのYour Shotがサイトを閉じてしまったので、タイトルを変更します。新しいブログタイトルは悩みましたが「MBA流ステップアップ写真術 論理的思考でセンスの良い写真を撮る方法」にしました。

ブログタイトルに込めた想い

私は、写真撮影において、ロジック(論理性)でセンス(感性)を超えていきたいと思っています。そのためには、素晴らしい写真を沢山見て、それが何故素晴らしいかを分析し、類似の状況に遭遇した時に瞬時に活用できるように、ひとつずつ自分の表現の引き出しを増やしていくことが重要だと思います。

 

一方でビジネスの世界において私がMBAで学んだのは、一見不可能と思えるゴールでもフレームワークを駆使してそこに辿り着く地図を論理的に描き、一つずつ実践していくことで、それを実現することができるということです。

 

要は、現実と理想の間を論理的に埋める能力。それがMBAの真価だと私は思っています。

 

写真においてもそれを実現するためには、写真関連の様々な書籍を読んで、そこから得られた学びを積み上げていくことが、論理的にセンスの良い写真を撮ることに繋がると思います。ですので、今まで通り、私が読んだ書籍からの学びなどをここに記録をしていきたいと思います。

私のポートフォリオサイト

ポートフォリオサイトに、私のプロフィールや写真など掲載しています。ぜひご覧ください。

reienom.wixsite.com

 

これからも少しずつブログを更新していきたいと思います。今日はこの辺りで。