ロジック(論理性)でセンス(感性)を超える方法
私は、写真撮影において、ロジック(論理性)でセンス(感性)を超えていきたいと思っています。
そのためには、素晴らしい写真を沢山見て、それが何故素晴らしいかを分析し、類似の状況に遭遇した時に瞬時に活用できるように、ひとつずつ自分の表現の引き出しを増やしていくことが重要だと思います。
それを実現するために、写真関連の様々な書籍を読んでいき、そこから得られた学びをここに記録をしていきたいと思います。
紹介書籍
今回の参考とした書籍はこちら。
木村伊兵衛とは
木村伊兵衛は、戦前・戦後を通じて活躍した日本を代表する写真家の一人です。特にストリートスナップを得意としており、「Everyday Moments」を撮影テーマとする私には、その最高峰のような人です。
また、ライカを愛用していて「ライカの神様」とも呼ばれています。今の私のメイン機が「ライカQ」であることからも、とても気になる写真家です。
価値のある人物写真とはどのような写真か?
書籍の中で木村伊兵衛は、人物写真のことをこのように語っています。
・人物写真は、写し出された人物の性格が描写されて初めて、魅力や親しみが生まれるものである
・そうでなければ、単なる形態の記録に留まり、家族や知人には懐かしみや親しさは感じられるが、一般的に見た場合、その写真には何の興味もない
・加えて、何年も後に残るものとして考えた場合、その写真には更に何の魅力もなく無価値である
とても厳しい言葉ですね。自身を振り返っても、単なる記念写真を量産している気がします。では、どのようにしたら良いのでしょうか。
価値のある人物写真を撮影する方法
書籍の中での内容を要約すると、木村伊兵衛が写真撮影をするまでには、瞬間的であるかもしれませんが、次のようなステップを経ていると思われます。
1.対象を観察し、何を表現したいかを考える
2.その姿をイメージをして、構図を考える
3.光を見る
4.露出を決める
5.瞬間を捉え、シャッターを切る
1.対象を観察し、何を表現したいかを考える
誰しも写真撮影の時には固くなるものです。ただ、最初、挨拶を交わすときには、日常の姿態が折節に現れることが多くあります。
まずは、最初の瞬間を逃さずに、その人物の姿態を観察しましょう。
木村伊兵衛は、短時間では容易に相手の性格は掴み取れないのをわかりつつも、人間の顔に瞬間的に閃きでる表情を捉えて、その刹那的なものの上にその人の全貌を表そうとしていました。
加えて、現代に生きるビジネスマンとして、MBA的思考で論理性を加えるのであれば、「5W1H」~Who(だれが)When(いつ)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)~を思い浮かべて対象を観察すると、若干なりともその背景にあるストーリーが見えてくるのではないでしょうか。
2.その姿をイメージをして、構図を考える
木村伊兵衛は「その人の日常的な自然な姿体や背景を選ぶ際、カメラポジション、撮影場所の選定は、単なる即興や思いつきであってはならない」と述べています。
では、どうするかという解は、「撮影者の日頃の勉強と体験による他はない」とのこと。
構図だけではなく、その対象が次にどうなるかを予測することも、瞬間を切り取るには重要です。そのためにも、その被写対象のことを、撮影前によく理解しておく必要があります。何事も予習が大切ということでしょうか。
構図に関しては、巷には様々な書籍が出ていますので、また別に科学的に考察し、記録していこうと思います。
3.光を見る
眼の仕組みはカメラの構造と似ています。ものが見えるということは、そこに光があるということ。
木村伊兵衛は「撮影の位置が決まって、その人を見た時、そこには必ず、日常のその人の生活にある自然の光があるはずである」と述べています。
まずは、その風景の中にある自然の光の存在を「認識する」ことが大事ということだと思います。
4.露出を決める
シンプルに言えば「適正な露出で撮る」と言うことです。
昔は、フィルム選び、ISO感度、絞り値、シャッタースピード、全てをマニュアルで考える必要がありました。今はカメラの性能が向上し、フルオートでもある程度綺麗に撮れます。しかし、その過程こそが、どのような写真を撮りたいか、という意思を明確にイメージするステップだったのかもしれません。
露出については、参考書籍が溢れているので、改めて学びを記録をしていきたいと思います。
5.瞬間を捉え、シャッターを切る
被写体の自然な姿を撮るには、カメラを意識させなくする必要があります。
木村伊兵衛は、被写意識を無くす為のカメラ操作に全能力をあげるのではなく、カメラを真っ向から突きつけ、カメラを意識させて、恐怖感より、むしろ愛着と信頼の心を起こさせるように仕向けていたとのこと。
その為には、続けざまにシャッターを切り続け、そのうちに何時写されているかわからなくなり、自然に被写意識が除かれてきて、日常の姿となってくるそうです。
また、ライカを好んだのも「小型で高性能」であるが故で、小さくて気が付かなかったり、そんなもので写るのかと馬鹿にしたりするので、カメラを人物に向けた時にも仕事がし易かったようです。
「偶然撮れた」と「意図して撮った」の大きな違い
木村伊兵衛は、チャンスを掴むというような当たり外れのある偶然性の上に生まれた撮影方法ではなく、被写人物と撮影者が四つに組んで、必ずその人物を写し出さねばならないという心を打ち込んだ意気込みで撮影に取り組んでいました。
現代では、カメラ性能も格段に向上し、常日頃からスマホで写真も撮れるようになったことで、昔と比べればとても恵まれた環境にあると思います。
素人でも偶然に良い写真が撮れることはあるかもしれませんが、偶然「撮れた」と意図して「撮った」の間には、改めて大きな差があるのだということを理解しました。
私もいつか、自分の思いを込めた理想の写真を、意識的に撮影できるようになりたいと思います。
今日はこのあたりで。